昭和46年08月22日  特別奉修委員会



  本当の意味で助かると言う事は、信心の喜びの徳を積み重ねていかなければ、本当の助かりにはならないと、まあそういう意味の事を今朝の御理解に頂きました。例えて言うと、覚えておるだけである。ですからその(?)に手を掛けておるというだけの助かりね。ですから沢山信心しておりますけれども、いわば子孫繁盛のもとに、家繁盛もというなって頂いて、ただ(?)のつくる教会長もというおかげ頂きます。
  ですから結局そういう中から、もう渾身の力を絞って、その舟の上に(かぎらなん?)というか、そういう力がとても我力でできることじゃない。やはり神様のおかげを頂かなければできない。神様のおかげというのは、どういうおかげかというと、まあ(?)さんの絵がいつもこうありますけれど、どこともなく有り難うなってくる。神様がね、あのそういうおかげを下さる、そのどことものう有り難うなってくるという、その有難いが、積もり積もって、有難いと言う事の力。
  二十何年も前に久留米の教会で信心共励会が行われました。岸先生がお話、その御神米もお米も同じだ。と御神紙も普通の障子紙であろうが同じだ。と言う事を懇々と力説いたしました。いわゆる紙そのものも、神様のお恵みのもの。お米そのものも、いわゆる私共が米というておる米も同じ物である。というあのお話をして非常に皆、感銘したわけです。だから、金光教の信心が今はもうそういうところで、止まっておると言う所に、常識的な信心、にまあなってしまっている感じである。
 それで私はその後に立ってから、岸先生のお話のあの通りだと。けれどもなら信心させて頂く者は、成程紙一枚でも御神酒も有り難く頂かなきゃならん。米一粒でも御神米と思うて、押し頂かなきゃならんけれども御神米はね、御神米はならお米とは違う。御神紙はただの紙とは違う。という話を私はしたんです。あの私の信心はここから始まっている。だからみなを御神酒としての霊験、御神米としての霊力を発揮した事であったね。そこのところを私共が頂いていかないといけない。
 そこんにきを大変あのう、まあデリケートな所ですけれども、いうならば降ってもおかげ照ってもおかげと、言うけれども成程おかげ。けれども矢張り自分には不安がある。いうならば不安がある、降ったが良いなら丁度良い様におかげを頂く。繁雄さんじゃないですけども、本当に種を蒔かした苗を植えたという時に、もう必ず御湿りのおかげを頂くと言う事であって始めて。特別のこれは御神夢が有難い事になってくるね。
  本当にさあ今日はどこどこへ行かなきゃならないという時に、雨や風やらが強うては不祥のお天気である。やはり今まで降っとったけれども、まあ波多野さんじゃないけれども。もうあれだけの土砂降りのなかに私が出らして頂こうと思うたらもうすぐに御湿りが上がっておった。そこにひしひしと神様を感じる事ができるのである。 神吾と共にあり。もうこれが、金光教の信心ではもうこればっかりを言うておる。なるほど神吾と共にありである。けれども私はそれを同業二人という。
 同じ様なことだけれども違うね。同業二人ですから。神吾と共にありという、ところで、もうドライになって割り切ってしまう。いつも神様思見守られている。そして本当に守られていないと言う事になる。同業二人と言うのは2人でいっつも話し合いができる。福岡の「吉木」先生が小倉から福岡に初めて布教に出られるという。お社を担いで、小倉から福岡まで歩いておいでられた。それでさあ今から福岡に出さして頂いておるがふっと不安を感じられるともうそれでおいさみがある。
 本当に人が助かることを思うたら、もうすぐおさまる。ずっと神様とお話をしながら小倉から福岡まで、にとどかれたというお話があります。同業二人なんだ。合楽の信心のここんところの違いはそこだと思うですね。ですからそこんところをおかげを頂く、ところの、おかげを頂き、もう頂いておらぬと、いよいよ本当に自分の重みとか、濡れた着物のために上に上がれたが、船に端に手をかけて、おかげを頂いておるという程度からね、本当に徳の舟に乗るとおっしゃる。
 そういうおかげを頂かなきゃならん。結局は、もう心一つだと言う事である。いわゆる、おかげは和賀心と、その和賀心なんだ。神様と話し合いができるのは。神吾と共にありと、いくらその、一時間も二時間も公演したところでね。神と共にある外れて飲む、こう濡れちから何とかと言うなら、(かっぱはめ?)も有難いいう神様はね。あれは東京の何とかという先生であるの教会に先生もお話に、宅祭りに帰った。
 そしたら、もう降りそうになったらから、信者さんが傘お持ちなさいませと言うたけれども、まあいいでしょうちゅうてから帰って来た。ちょうどあのう、武蔵野の中に入った途端からどしゃ降りなってきた。もう着ておる服も何もびしょ濡れて、けれども信心有難いと思うて帰った。家まで帰りついたという話をされた。本当に何が有難かったかというと、ようもこの鼻が逆さまについとらんで良かったと思うた。今度鼻がもし逆さまどん着いておるなら、もう自分なこの雨で死ななきゃならんと思った。
 それけん帰りも有難かったと言うて、話されたが、今でもその話を思い出すと笑いが出るほどおかしい。(笑い)。鼻が逆さついとらんでよかったとね。だから、無理にしてですね、無理にそげん鼻が逆さまについとらんでよかったと思わにゃんごとあるじゃなくて、本当に信者が傘をお持ちなさいませと言うたから、そんなら借って行こうかと言うたおかげで濡れんですんだとか、もう家に帰り着いたら、途端にどしゃ降りでしたとか、おかげで濡れんですんだとかというおかげを頂いて、はじめておかげ。
 鼻が逆さまについとらんでよかった。(はたるめにも?)おかげを頂いておるという、そこのところがね、もう私共の信心感覚と、他所の先生の信心感覚は全然違う。昨日信徒会で他所の先生と講師がみえましたけれども、もうあほらしゅうして馬鹿らしゅうして、後から秋永さん、合楽の信心の少し話してくれと。もうこの人達じゃ分からんと思うてからもう、一言も言わんじゃった。ゅう。
 けれども、やはりその教会が、ある意味は立ち入っておると言う事だから、どこに味方付いとうとじゃろうか、この話の中から、そこだけをひとつ分からして頂きたいと話される内容からではなくて、そこに立つことだけを考えてその人達と(?)ぬかれ話しておりましたがね。あのう今の合楽の信心を、あの素晴らしさはそこだと思う。今私がずっと話してまいりましたところが違うんですよね。今朝から熊谷さんがお届けされるのに。夕べの御理解の、昨日の当番は愛子でしたが、御祈念そして御理解。
 私もここから聞かせて頂きながら、ああ有難いな素晴らしいなと思うて聞かさせて頂いて。ちょうど大祭の夜、菊栄会が座った後で、あの佐藤君が帰りますち言う。飯場からみえとりましたから、御神酒一献出して、まあ、あなた(?)の送別会といったような意味で、菊栄会の者も付き合って、しておりました。ですから、繁雄さんは飲まれんから、あの、お茶を出した後、どこか外で、待っておられたらしい。
  それでもう眠うしてこたえんごとしとんなさるけん、後片付けの時に、もうおっちゃま今日は、あの、私共がするけんね、あの、早く休んで下さいち言うたら、繁雄さんがむきになって言われる。これば(?)しょると、良かお茶は入らんちおっしゃった(笑い)。あなた本当にですね、一つの事に精進するちゅう事はそんな事だと思いますよね。ならちょっとよこさお願いしとこうじゃなくてですね。このお茶道具に限ってだけは、私がしなければ良かお茶は出らん、とこう思うとるです。
  私もそれとよう似たことがございます。私はその、お花を少しばかり稽古しておるから、なるほどお花の、そのマナーというものを心得ておる。ところが、親先生はそれまで全然調べん、ただ、自分の感覚だけで良か悪かと言われる。だから、お花を入れる時にはもう絶対、もう親先生がこげな風にゃ好きなさらんから、そのように入れるとこう。どうしても今度の大祭の時に、その、思う様にはいかん。
 でたまたま、親先生が入って来て、あらこれまで出とるばい、これだけは持っていけと言われたことを話しておるんです。問題は親先生がその人の心を受けてもらえるということを、思うた。ち形じゃない。もう本当に親先生が喜びなさるからね。お茶道具に限ってだけは、私がどげん眠かったっちゃ、遅なったっちゃこれだけ私がせにゃねらん。そういうひとつの心なんだ。そういうものが合楽では、私は育っていきよらなければ合楽の信心の基と思うですね。